Tweet北海道史・古代〜現代の総合概要 北海道1500年の歴史を「自然史 →アイヌ史 →和人史 →近代化 →戦後 →現代」の流れで体系化する。
●一般的だけど、学校では絶対に教えない歴史の勉強 全世代向け歴史●

       
◆第1章 自然史:〜紀元前
北海道の歴史は、人間の登場よりはるか以前、 氷河と火山の時代 から始まる。

●氷河の時代
・約2万年前、北海道は氷期の影響を強く受けた。
・大雪山・知床・日高山脈は氷河によって削られ、現在の険しい山容が形成された。
・オホーツク海は氷に覆われ、流氷文化の基盤となる。

●火山の時代
有珠山・樽前山・十勝岳・雌阿寒岳など、活火山が多数存在。
火山活動は、洞爺湖 支笏湖 阿寒湖 などのカルデラ湖を形成し、北海道の自然景観を決定づけた。

●縄文以前の自然
・広大な原生林
・サケ・マスが遡上する河川
・エゾシカ・ヒグマが生息する森
・海産資源が豊富な沿岸 これらが、後のアイヌ文化の基盤となる。
北海道は、 「自然が文化を規定した土地」 である。

◆第2章古代:紀元前〜13世紀

北海道の古代文化は、本州とは異なる独自の発展を遂げた。

●縄文文化(〜紀元前)
・狩猟・採集中心
・土器文化が発展
・本州と交流しつつも独自性が強い

●続縄文文化(紀元前〜7世紀)
・北海道独自の文化圏が成立
・狩猟・漁労が中心
・本州の弥生文化とは異なる発展

●擦文文化(7〜12世紀)
・アイヌ文化の前段階
・土器文化が衰退し、鉄器が普及
・本州との交易が増加
・狩猟・漁労・交易が生活の中心となる
この時期、北海道は 「本州とは異なる文化圏」 として確立していく。

◆第3章中世(13〜16世紀)

13世紀頃、 アイヌ文化が成立 する。
●アイヌ文化の特徴
・狩猟・漁労・採集中心
・コタン(集落)ごとの共同体
・カムイ(神)への祈り
・儀礼・工芸・刺繍文化
・サケ・マス漁と海獣猟
・交易による広域ネットワーク

●交易の広がり
・北は樺太・アムール
・東は千島
・南は本州
・西はロシア沿岸 アイヌは、 北東アジアの交易ネットワークの中心 だった。

●和人との接触
15世紀以降、和人が渡島半島に進出し、アイヌとの交易が始まる。

しかし、 1457年:コシャマインの戦い は、和人の進出に対するアイヌの抵抗として記録される。
北海道は、 「アイヌ文化と和人文化が接触する境界空間」 となった。

◆第4章(17〜19世紀前半)
近世
1600年代、松前藩が成立し、 北海道は「蝦夷地」と呼ばれるようになる。

●松前藩の特徴
・アイヌとの交易を独占
・米の代わりに海産物を年貢とする
・和人の定住は限定的
・商人による「場所請負制」が発展

●アイヌ社会の変化
・交易依存の増加
・資源採取の強制
・不公平な物資交換
・領域への侵入
・社会構造の変化

●最大の抵抗
1669〜1672年:シャクシャインの戦い アイヌ史最大の抵抗運動であり、 松前藩の交易支配に対する広域的反乱だった。
北海道は、 「交易と支配の構造が強まる時代」 へと移行する。

◆第5章(19世紀前半〜1868)
幕末
19世紀、ロシア帝国が北方へ進出し、 蝦夷地は国防上の最前線となる。

●幕府の施策
・箱館奉行の強化
・和人の移住奨励
・農地開発の試行
・兵士の配置
・樺太・千島の調査
北海道は、 「国家が本格的に関与する土地」 となる。

◆第6章明治(1869〜1882)
1869年、明治政府は 開拓使 を設置し、北海道開拓を国家事業として開始する。

●開拓使の目的
・北方防衛
・農業開発
・産業育成
・都市建設
・交通整備
・アイヌ政策(同化政策)

●札幌本府建設
・碁盤目状の都市計画
・大通公園の防火帯
・官庁街の整備
・札幌農学校(北大)の設立
・外国人技術者の招へい
札幌は、 「日本で最も成功した計画都市」 として誕生した。

●屯田兵制度(1874〜)
・半軍半農の開拓者
・道央・道北の村を形成
・家族の労働が極めて重要
北海道は、 「国家がゼロから都市と農地をつくる空間」 となった。

◆第7章近代(1880〜1945)
開拓使廃止後、北海道は 産業化と都市化 の時代へ入る。

●炭鉱の発展
・幌内炭鉱
・夕張・美唄・赤平・芦別
・空知炭田が日本最大の産出量
・鉄道建設の燃料
・炭鉱町の形成

●漁業の発展
・ニシン漁の黄金期
・沿岸集落の繁栄
・北前船文化の継続

●林業・製紙
・王子製紙の発展
・苫小牧工業地帯の形成

●都市の発展
・札幌:行政都市
・函館:国際港湾都市
・小樽:商業都市
・旭川:軍都・内陸交通の中心
・釧路:漁業都市
・帯広:農業都市
北海道は、 「産業と都市が同時に成長する近代空間」 となった。

◆第8章戦後:(1945〜1980)
戦後、北海道は 日本再建の食糧基地 として重要な役割を果たす。

●戦後開拓(新規入植)
・引揚者・復員兵が入植
・道東・道北の開拓が進む
・過酷な生活
・農地改革で自作農へ

●農業の発展
・十勝の大規模畑作
・北見のてん菜・豆類
・酪農の発展(根釧・十勝)
・農業機械化

●炭鉱の衰退
・石油への転換
・夕張新炭鉱事故(1981)
・炭鉱町の消滅
・夕張市の財政破綻(2007)
北海道は、 「農業の大地へと再編される時代」 となる。

◆第9章現代(1980〜2020)
1980年代以降、北海道は 観光・国際化・エネルギー の時代へ入る。

●観光の発展
・ニセコの国際リゾート化
・旭山動物園の成功
・函館の夜景
・富良野・美瑛の景
・道東の自然観光(知床・摩周湖)

●都市再生
・札幌の再開発
・函館・旭川・釧路の都市再生
・地方都市の人口減少対策

●エネルギー
・風力・太陽光・地熱の拡大
・北海道電力の送電網強化
・再生可能エネルギー基地化
北海道は、 「自然・都市・国際化が交差する現代空間」 となった。

◆第10章未来(2020〜)
・人口減少
・過疎化
・産業構造の転換 という課題を抱える。
しかし同時に、
・スマート農業
・国際観光
・エネルギー基地化
・食産業の高度化
・自然との共生モデル など、未来への可能性も大きい。
北海道は、 「自然・文化・産業を融合した新しい地域モデル」 として世界的注目を集めている。

◆総括:北海道史“重層構造”
北海道の歴史は、
自然史
アイヌ史
和人史
国家開拓史
産業史
都市史
農業史
戦後史
現代史
が重層的に重なった巨大な歴史空間である。

北海道を理解することは、
日本の歴史を「周縁」からではなく「中心」から理解すること」 に等しい。
 ・

**北海道史・古代〜現代の総合概要
—“北の大地は、自然・民族・国家・産業・都市が重層的に重なった歴史空間である”**

◆第6章 明治初期:開拓使の設置(1869〜1882)
1869年、明治政府は 開拓使 を設置し、北海道開拓を国家事業として開始する。

目次
●開拓使の目的

・北方防衛
・農業開発
・産業育成
・都市建設
・交通整備
・アイヌ政策(同化政策)

●札幌本府建設
・碁盤目状の都市計画
・大通公園の防火帯
・官庁街の整備
・札幌農学校(北大)の設立
・外国人技術者の招へい
札幌は、 「日本で最も成功した計画都市」 として誕生した。

●屯田兵制度(1874〜)
・半軍半農の開拓者
・道央・道北の村を形成
・家族の労働が極めて重要
北海道は、 「国家がゼロから都市と農地をつくる空間」 となった。
 

●開拓使の目的
・北方防衛
明治時代に設置された開拓使の大きな目的の一つは、ロシアの南下政策に対抗する北方防衛(警備)でした。

開拓使の主な目的と役割
政府は1869(明治2)年に開拓使を置き、蝦夷地を「北海道」と改名して統治を進めました。その目的は防衛だけでなく多岐にわたります。 [1, 2, 3]
  • 北方警備と防衛:ロシアの進出に備え、国境を固めて領土を守る。
  • 産業の育成:欧米の技術を取り入れ、農業や鉱工業などの新しい産業を興す。
  • 基盤の整備:道路や港などの交通網を整え、開拓の基礎を固める。
  • 移住と屯田兵:本州からの移住を進め、のちに警備と農地開拓を兼ねた屯田兵制度を導入した。
北方防衛と開拓の魁─ 蝦夷地を舞台に暮らし革命を起こし領土を守った商人』|感想・レビュー - 読書メーター

・農業開発
明治時代に置かれた官庁「開拓使」が、北海道の農業開発を進めた最大の目的は、国家の近代化に向けた食料・物資の自給体制の確立と、北方の警備(対ロシア防衛)および士族の救済にありました。
開拓使が農業開発を行った主な目的
  • 国力増強と自給自足の確立
    明治新政府が近代国家を目指すなかで、北海道の広大な未開の地を農地に変え、食料や生糸・ビールなどの原料となる農産物を自給、さらには輸出産業へ育てることで国家の富強を図る目的がありました。
    [1, 2, 3]
  • 北方警備(国防)と屯田兵制度
    ロシアの南下政策に対抗するため、北海道の防衛は急務でした。そこで、平時は農業に従事し、有事には兵士となる「屯田兵」を集団移住させ、防衛と農地開拓を同時に進めました。
    [1, 2]
  • 生活困窮士族の救済(士族授産)
    明治維新の改革によって職や特権を失い、生活に困窮した全国の武士(士族)に土地と仕事を与え、社会的な安定を図るための受け皿としました。
    [1, 2]
  • 欧米式の近代大規模農業の導入
    本州の伝統的な稲作とは異なる北海道の厳しい気候に合わせるため、開拓使はアメリカからお雇い外国人のホーレス・ケプロンらを招きました。大型の農機具や、畑作、西洋式酪農、畜産業などの近代的な大規模農業を日本に定着させるための実験場でもありました。
ふじあざみ65号P2

・産業育成
開拓使(かいたくし)の目的は、明治時代初期にロシアに対する北方の防衛(警備)と、北海道の豊かな資源を開発して資本主義的な産業を育成する(殖産興興)ことでした。
開拓使が特に力を入れた主要な産業育成の取り組みは以下の通りです。
1. 官営工場の建設(札幌工業局)
西洋の最新技術を導入するため、現在の札幌市を中心に多くの官営工場(国営の工場)が建てられました。
  • 札幌麦酒醸造所:現在のサッポロビールの前身。
  • 製糸場・紡績所:繊維産業の育成。
  • 木工・製粉・製革工場:開拓に必要な資材や生活物資を自給自足するための工場。
2. 農業・畜産業の近代化
アメリカの近代農業技術を導入し、日本の他の地域とは異なる大規模農業を目指しました。
  • お雇い外国人の招聘:ケプロンやクラーク博士などを招き、技術指導を受けました。
  • 開拓使官園:東京や札幌に実験農場を設け、リンゴ、ジャガイモ、玉ねぎなどの西洋野菜や、ビール麦の栽培を試みました。
  • 畜産業の開始:牛や羊の飼育、バターやチーズなどの乳製品加工を導入しました。
3. 炭鉱開発と交通網の整備
産業を支えるエネルギー源の確保と、物資を運ぶためのインフラ整備を同時に進めました。
  • 幌内(ほろない)炭鉱の開発:空知地方の石炭資源に着目し、大規模な採掘を開始。
  • 官営幌内鉄道の敷設:採掘した石炭や資材を小樽の港へ運ぶため、手宮(小樽)〜札幌〜幌内を結ぶ鉄道を建設(日本で3番目の鉄道)。
近代北海道の始まり-開拓使設置し農地開拓など推進|北海道開発のあゆみ|北海道開発局開局70年

・都市建設
「開拓使(かいたくし)」が北海道の開拓を進めるにあたり、目的都市(本府)として建設したのが現在の札幌市です。
1869(明治2)年に設置された開拓使は、ロシアに対する北方の防備(国防)と、豊富な資源を生かした産業の開発(内政)を主な目的としていました。
開拓使がなぜ札幌を選び、どのようにつくられたのか、その要点は以下の通りです。
札幌が選ばれた理由
それまでの蝦夷地の中心地は、海の便が良い「箱館(函館)」でした。しかし、開拓使の初代長官だった東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)や、実質的な指揮をとった判官の島義勇(しま よしたけ)らは、以下の理由から内陸の札幌を本府に選びました。
  • 広大な石狩平野の中心であり、全道へ道路を広げる拠点にふさわしかったこと
  • 豊平川などの水運が利用でき、農業や産業の発展に適していたこと
  • 函館に比べてロシアの脅威(南下)に対して防衛上、有利な内陸であったこと
都市建設の特徴(京都を模した計画都市)
島義勇は1869(明治2)年の冬、現在の円山の丘から札幌の原野を見渡し、大規模な都市計画を練りました。
  • 碁盤の目状の街並み:京都の街路をモデルに、東西・南北に整然と区画されました。
  • 大通りの配置:現在の「大通公園」にあたる場所に、火災の延焼を防ぐための広大な「火防線(ひよけち)」として幅約100メートルの大通りを配置しました。これが現在の札幌の街づくりのベースとなっています。
その後、島は予算を使い果たしたことなどで解任されますが、後任の岩村通俊や開拓次官の黒田清隆らが意志を引き継ぎ、アメリカの近代技術や専門家(ケプロンなど)を招いて、現在の近代都市・札幌の基礎が完成しました。
1884年、道庁設置前夜と安場保和の旅|特集|北海道マガジン「カイ」

・交通整備
明治時代に設置された開拓使が交通整備(道路や鉄道の建設)を行った最大の目的は、北海道の防衛(警備)と、近代化のための迅速な産業開発(資源輸送や入植の促進)にあります。 [1, 2]
主に以下のような3つの重要な目的がありました。
1. 北方の防衛(対ロシアの警備)
当時、南下政策を進めていたロシア帝国に対する防衛は最優先の課題でした。有事の際に軍隊や屯田兵、物資をすみやかに移動させるため、道なき道を開削して強固な大動脈(インフラ)を築く必要がありました。 [1, 2]
2. 重要資源(石炭)の効率的な輸送
日本の近代化・工業化を支えるための重要なエネルギー源として、三笠の幌内炭山から採掘される石炭の安定輸送が急務でした。この目的のために建設されたのが、北海道初の鉄道である官営幌内鉄道(手宮〜札幌〜幌内)です。これにより、内陸の炭鉱から小樽港への大量輸送ルートが確立されました。 [1, 2, 3]
3. 入植・開拓の拠点づくりと物資の運搬
新しい都市として建設が進められていた札幌(本府)と、本州からの玄関口であった函館や小樽を結ぶ人流・物流を円滑にする必要がありました。
お雇い外国人ホーレス・ケプロンらの提案により、日本初の本格的な長距離洋式馬車道である札幌本道が整備され、本州からの移住者や開拓物資の輸送スピードが劇的に向上しました。 [1, 2, 3]

このように、開拓使による交通整備は、ただ移動を便利にするだけでなく、「国の安全を守る」ことと「日本の近代化を加速させる」という国家戦略そのもの
第6回 エピソード0|伊藤組と札幌駅 – 建設コラム
昭和時代の札幌駅

・アイヌ政策(同化政策)
明治時代に開拓使(かいたくし)が置かれた主な目的と、その中で行われたアイヌ同化政策の概要は以下の通りです。
開拓使の主な目的
明治政府が1869(明治2)年に開拓使を設置した目的は、主に2つあります。
  • ロシアに対する国防:当時、南下政策を進めていたロシア帝国に対抗するため、蝦夷地(現在の北海道)の支配権を急速に固める必要がありました。
  • 資源の開発と経済発展:広大な土地の農業開発や、炭鉱などの鉱物資源、豊かな漁業資源を開発し、近代国家としての経済基盤を強化しようとしました。

アイヌ同化政策の目的と内容
開拓使やその後の明治政府は、北海道の「日本化」を進めるため、先住民族であるアイヌ民族に対して強力な同化政策を行いました。
1. 政策の目的
  • 土地の国有化と近代化:アイヌ民族が伝統的に使用していた土地を「領有者がいない土地」として政府が没収(国有化)し、和人(本州からの移住者)の開拓地や屯田兵の入植地に充てるため。
  • 国民としての統合:国境を明確にするにあたり、アイヌ民族を「平民(のちに『旧土人』と称される)」として日本の戸籍に編入し、日本国民として管理・統合するため。
2. 具体的な政策内容
  • 伝統的な生活習慣の禁止:アイヌ民族の文化や宗教儀礼を否定し、和人の風習を強制しました。
    • 男子の耳輪(イヤリング)の禁止
    • 女子の刺青(いれずみ)の禁止
    • 伝統的な家屋の焼却(衛生上の理由など名目)
  • 生業(暮らしの手段)の制限と強制:
    • 伝統的な狩猟(シカ狩りなど)やサケ漁の禁止(密猟・密漁として処罰)
    • 慣れない農業への転換の強制
  • アイヌ語の禁止と日本語教育:アイヌ語の使用を制限し、学校教育を通じて日本語や和人の文化・価値観を教え込みました。これにより、アイヌの口承文芸や言語の継承が危機に瀕することとなりました。
  • 土地の個人所有化と制限:1899(明治32)年には「北海道旧土人保護法」が制定され、土地が与えられたものの、売却や相続に厳しい制限があり、農業に適さない土地も多かったため、多くのアイヌ民族が貧困に追い込まれました。
まとめ
開拓使による北海道開拓は、日本の近代化や国防という目的を達成した一方で、アイヌ民族の独自の言語、文化、生活基盤を奪い、強制的に和人の社会に組み込む(同化させる)という深刻な犠牲をもたらしました。
屯田兵』による北海道開拓と『琉球処分』!アイヌと沖縄の歴史を解説 | ゆみねこの教科書


●札幌本府建設
・碁盤目状の都市計画
札幌の碁盤目状の都市計画は、明治初期(1869年)に開拓判官であった島義勇らが中心となり、京都や中国の都城制、さらには防衛・開拓の効率性を考慮して設計されたものです。 [1, 2, 3, 4]
札幌の碁盤目状の都市計画の特徴
  • 起源と人物: 明治2年(1869年)に開拓判官の島義勇が京都などを手本に構想し、本格的な都市建設が始まりました。
  • 区画のサイズ: 各街区は60間(約109メートル)四方の正方形を基本とし、道路幅は11間(約20メートル)と広く取られました。
  • 背景と目的: ロシアの南下に対する北方防衛の拠点や、効率的な北海道開拓・行政の中心地とするために計画された人工都市です。
  • 条丁目制: 中心部を起点として「〇条〇丁目」という分かりやすい住所・道路のグリッド(格子状)が現在にも引き継がれています。
今の北海道に残る、開拓者たちの「夢の名残」 ~北の脅威から始まった、まちづくりの歴史とは(連載第4回) – 國學院大學

・大通公園の防火帯
札幌の大通公園は、1871年(明治4年)に街の中心部を南北に分ける「火防線(ひぶせせん)」という名の防火帯(幅約100m、のちに65mに調整)として作られました。

現在の画像
大通公園の歴史と防火帯
  • 誕生の背景: 札幌の街割りを測量した岩村通俊により、火災の延焼を防ぐ空間および北側の官地・南側の民地を分ける境界として設定されました。 [1, 2]
  • 法的性質: 長らく「道路(後志通など)」の扱いでしたが、時代の変化とともに植物や花壇が整備され、1980年(昭和55年)に正式な「公園」となりました。 [1]
  • 現在の姿: 現在は東西に約1.5km、13丁目まで続く札幌市民の憩いの場であり、さっぽろ雪まつりやオータムフェストなどの一大会場としても親しまれています。

・官庁街の整備
官庁街整備とは、国や地方自治体の官公庁施設を計画的に集約・更新し、地域のまちづくりや利便性向上を図る取り組みのことです。 [1, 2]
主な特徴と目的
  • 施設の集約と更新: 老朽化した複数の庁舎を建て替え、一つの合同庁舎などにまとめて効率化します。
  • シビックコア地区整備制度: 官公庁施設と民間建築物を連携させ、賑わいのある都市拠点を形成する国の制度が活用されます。
  • 防災と環境配慮: 災害に強い防災拠点の機能を持たせ、環境負荷の少ない省エネ建築への刷新を進めます。
  • 民間活用の導入: 財政負担を減らすため、PFI方式(民間資金等の活用)や民間商業施設との複合化が進められています。

・札幌農学校(北大)の設立
北海道大学の前身である札幌農学校は、1876年(明治9年)8月14日に開校しました。 [1]
設立の背景と経緯
  • 開拓使の計画: 北海道開拓の指導者を育てるため、政府(開拓使)が設立を進めました。
  • 前身の移転: 東京にあった「開拓使仮学校」を札幌に移し、札幌学校を経て農学校となりました。
  • 中心人物: 開拓長官の黒田清隆が尽力しました。
  • クラーク博士の来日: 初代教頭としてウィリアム・スミス・クラークが招かれ、「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」の言葉を残しました。


・外国人技術者の招へい

札幌は、 「日本で最も成功した計画都市」 として誕生した。

●屯田兵制度(1874〜)
・半軍半農の開拓者


・道央・道北の村を形成


・家族の労働が極めて重要

北海道は、 「国家がゼロから都市と農地をつくる空間」 となった。


◆第1章自然史:氷河と火山がつくった大地(〜紀元前)
◆第2章古代:縄文・続縄文・擦文文化(紀元前〜13世紀)
◆第3章中世:アイヌ文化の成立(13〜16世紀)
◆第4章近世:松前藩の成立と交易支配(17〜19世紀前半)
◆第5章幕末:ロシアの脅威と国防(19世紀前半〜1868)
◆第6章明治初期:開拓使の設置(1869〜1882)
◆第7章近代:産業化と都市化(1880〜1945)
◆第8章戦後:開拓・農業・高度成長(1945〜1980)
◆第9章現代:観光・国際化・エネルギー(1980〜2020)
◆第10章未来:人口減少と新しい産業(2020〜)

◆総括:北海道史は“重層構造”である

人物伝記(開拓・行政・政治)
島義勇 — 札幌本府建設(1869)
東久世通禧 — 初代開拓長官(1869)
黒田清隆 — 札幌農学校創設(1876)
岩村通俊 — 北海道庁初代長官(1886)
永山武四郎 — 旭川開拓指導(1890)
中島武市 — 小樽港整備(1890)
伊藤長右衛門 — 札幌商工業育成
鈴木貫太郎 — 樺太庁長官(1920)
町村金五 — 北海道開発庁長官(1960)
横路孝弘 — 北海道知事(1983)
高橋はるみ — 北海道知事(2003)
鈴木直道 — 北海道知事(2019)
和田義明 — 道政・国政で活動(2010)
今金町長・佐藤修地方自治改革
小川原脩 — ニセコ観光推進(2000)
三好昭一 — 道議会改革(1990)
佐藤孝弘 — 函館市長(2015)
秋元克広 — 札幌市長(2015)
本間利雄 — 北方領土運動(1980)
中川一郎 — 北海道農政推進(1970)

アイヌ文化・民族
シャクシャイン — アイヌ蜂起(1669)
コシャマイン — 和人と抗争(1457)
クナシリ・メナシの人々 — 文化継承
知里幸恵 — アイヌ神謡集刊行(1923)

知里真志保 — アイヌ語研究(1930)
萱野茂 — アイヌ語辞典編纂(1996)
秋辺日出男 — アイヌ文化伝承(2000)
川村兼一 — 口承文化継承(1980)
藤戸文雄 — 民族芸能保存(1970)
貝沢正 — アイヌ民族運動(1980)
川村兼一 — 伝統儀礼復興(1990)
宇梶静男 — アイヌ文化普及(2000)
川村英 — アイヌ工芸保存(1990)
萱野茂 — 文化復興(1990)
ウポポイ関係者多数

学者・教育

クラーク博士 — 札幌農学校初代教頭
新渡戸稲造
— 国際連盟事務次長

内村鑑三 — 札幌農学校で学ぶ(1877)
宮部金吾 — 北海道植物研究(1900)
佐藤昌介 — 北大総長(1918)
高倉新一郎 — 北大農学発展(1930)
本多勝一 — ルポライター(1960)
梅棹忠夫 — 北方文化研究(1950)
田中舘愛橘 — 物理学者・北大関与
大島正満 — 北方民族研究(1950)
山田秀三 — 地名研究(1970)
小泉信三 — 北大講義(1930)
中村雄二郎 — 哲学者・北海道研究
佐々木高明 — 民俗学・北方文化
石井正己 — 北海道文学研究(2000)
山口昌男 — 文化人類学(1970)
小林多寿子 — 北方史研究(1990)
田端宏 — 北海道史研究(2000)
永田方正 — 北海道地理研究(1900)
大塚武 — 北方考古学(1980)

文化人・芸術
小熊秀雄 — 詩人・札幌出身(1930)
辻仁成 — 作家・札幌出身(1990)
三浦綾子 — 旭川文学(1960)
有島武郎 — ニセコで執筆(1910)
石川啄木 — 小樽で生活(1905)
北原白秋 — 北海道取材(1910)
松浦武四郎 — 蝦夷地記録(1850)
木田金次郎 — 小樽画壇(1930)
岩橋英遠 — 画家・道産子(1950)
神田日勝 — 十勝の画家(1960)
玉置勉強 — 漫画家・札幌(1980)
いがらしゆみこ — 漫画家・小樽(1970)
倉本聰 — 富良野ドラマ(1980)
森山大道 — 写真家・北海道撮影
中島みゆき — 札幌出身歌手(1970)
松山千春 — 足寄出身歌手(1970)
大黒摩季 — 札幌出身歌手(1990)
GLAY — 函館出身バンド(1994)
玉置浩二 — 旭川出身歌手(1980)
北島三郎 — 函館出身歌手(1960)
吉田美和 — 十勝出身歌手(1980)
安倍なつみ — 室蘭出身(1998)
大泉洋 — TEAM NACS(2000)
安田顕 — TEAM NACS(2000)
森崎博之 — TEAM NACS(2000)

産業・経済・科学
渋沢栄一(関与) — 北海道開拓支援
本庄陸男 — 北海道農政(1950)
田中角栄(関与) — 北海道開発庁強化
堀達也 — 北海道電力発展(1980)
石井純 — 北海道観光戦略(2000)
高橋はるみ — 観光立国推進(2005)
長谷川岳 — 北海道インフラ推進
堀井学 — スポーツ行政(2010)
鈴木亨 — ゴルフ界(1990)
清宮幸太郎 — 北海道日本ハム(2017)
大谷翔平 — 花巻→北海道球団(2013)
栗山英樹 — 日ハム監督(2012)
稲葉篤紀 — 日ハム選手(2000)
白井一幸 — 野球指導(1990)
張本勲 — 札幌出身野球選手(1959)

その他・地域の偉人(96〜100)

高田屋嘉兵衛 — 北前船・蝦夷交易
近藤重蔵 — 択捉調査(1798)
最上徳内 — 北方探検(1790)
松浦武四郎 — 蝦夷地命名(1850)
千島探検隊各員 — 北方調査